Rising Sun | 日本の地域情報と地図を一緒にまとめました。 日本を旅行する時に役に立つ地図情報だけではなく、グルメ、交通、そして地域の歴史や見所も調べることが出来ます。 |
Select Language 日本語 English |
Rising Sun > 地域情報 > 飛騨高山
飛騨高山は海から遠く離れた山深い岐阜県北部の街でありながら、かつては飛騨の匠を都に送り出し、そして江戸時代には幕府の天領となるなど、歴史的に独特の文化を育んできました。 今では日本の雪深い山岳地の文化に触れることができる一方、華麗な高山祭りや昔ながらの町並みを楽しむことができる情緒ある街です。
太古より飛騨の国は山岳が多く農作に適さなかったことや、飛騨の匠の建築技術が高く評価されていたことから大和朝廷に税の代わりに毎年100~150人の匠を都に送っていました。 派遣された飛騨の匠たちは飛騨工と呼ばれ、当時多くの都の寺院や宮殿の建設を行ったのです。
この飛騨の国は1586年に金森長近が国主となり、1588年から16年の歳月をかけて築城した高山城は「日本国中に5つとない見事な城」と言われるほどでした。 以来6代に渡り政治を布きましたが1692年に本陣が置かれ江戸幕府の直轄地である天領となりました。 この頃から江戸の文化が飛騨の国に流入し、絢爛豪華な高山祭の屋台にも影響を与えました。
高山祭は日本三大美祭及び日本三大曳き山に数えられ、その始まりは16世紀後半から17世紀と言われています。 今では高山祭は国の重要無形民俗文化財にも指定されています。
この高山祭の見所は何と言っても華麗な装飾の屋台でしょう。 飛騨の匠の技が結集して作られた絢爛豪華な屋台は「動く陽明門」と呼ばれ、国の重要有形民俗文化財に指定されています。
普段は「高山祭屋台会館」で4台ずつ屋台が展示されていますが、高山祭ではもちろん間近に見ることができます。 なかでも春祭に3台、秋祭に1台の精巧な仕掛けで動くからくり屋台の「屋台からくり奉納」は必見。
飛騨高山は匠の街であったのと同時に金森氏の城下町として栄え、現代にその古い町並みを残しています。 さんまち通りを中心とした古い町並みは、お土産屋、喫茶店、酒屋などが立ち並びショッピングにも最適です。
高山陣屋は江戸幕府が飛騨の国を直轄地とした時に飛騨の国の行政機関として建てられました。 かつて全国に約60数カ所あった陣屋も、今では当時の建物が残っているのはこの高山陣屋だけとなり、国史跡として指定されています。
飛騨高山で有名な郷土料理と言えば「朴葉味噌」や「飛騨牛」「五平餅」「高山ラーメン」でしょう。 どのような料理なのか早速見てみましょう。
朴葉の上に味噌と生椎茸、牛肉、ネギをのせて下から炭火であぶって朴葉の香りと共に味噌や具を味わう料理です。 味噌だけでも美味しいものですが、やはり具と一緒に炙った方が断然お勧めです。
岐阜県内で14ヶ月以上肥育された黒毛和牛。 日本食肉格付協会の格付で肉質等級がA・Bで5~3等級のものです。 つまり、飛騨牛は岐阜県で飼育された最高級の黒毛和牛なのです。
長野・岐阜エリアの郷土料理の一つで、飯を軽くたたいてつぶし楕円形か団子形に形を整え、味噌や醤油のたれをつけながらあぶって焼いたお餅です。
出汁は煮干やかつおの魚系で取り、味はあっさりとシンプルなしょうゆ味。 麺はストレートな細麺で、具はねぎ、のり、めんまなどでこれまたシンプル。 全てがシンプルでどこか懐かしい味のラーメンです。
「猿ぼぼ」とは「猿の赤ちゃん」という意味で、本来安産のお守りでした。 雪国である飛騨の国で冬におばあちゃんが子供におもちゃやお守りとして人形を作ってあげていたのが始まりだそうです。 赤い生地で猿ぼぼが作られているのは、昔は流行り病が多かったため病気をもたらす疱瘡神が嫌いな赤色で人形を作ってお守りとしたことによると言われています。
雪深い飛騨高山へ冬に行くのであれば、鉄道を利用することをお勧めします。 もしも冬に自動車で行くのであれば、スタッドレスタイヤは必需となります。
ちなみに高山市内の駐車料金はやや高く1時間300円です。
飛騨高山の地図です。 お勧めの観光地も調べることができます。
Rising Sun Copyright © All Rights Reserved. http://www.mtfujisan.com (このサイトはリンクフリーです。連絡なしでご自由にリンク下さい。) |